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2011年07月10日 地下水谷

地附山公園(じづきやまこうえん・長野市上松)から。晴れていると絶景でしょう。

20110709-1.jpg

 昭和60(1985)年7月26日長野市地附山(標高733m)の斜面において長さ700m、幅500m、深さ60m(パンフレット)にもおよぶ大規模な地すべりが発生して、分譲住宅団地及び老人ホームを直撃しました。老人ホームが倒壊して26人が犠牲となり、4人がけが、全半壊家屋64戸といった大災害になりました。亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 文献(山が動く土が襲う)によると「大崩落前の地すべり地には、地すべり地の上部から東の縁にかけて数か所の湧水と湿地が存在した。(略)また、この沢の出口に当たる東縁のボーリング孔59-3では、図1.59に示すように、84年7月降雨により地下水位が-30mから14m上昇し、85年6月には23m上昇した記録が残されている。(略)地下水の存在は地すべり地の北端部に集中しており、旧鬼沢に沿って地下水が流下していたとみられる。熊井(注)が大崩落発生前の地下水面を復元した結果でも、旧鬼沢上流部に地下水谷が存在する。また、地すべり地西縁から松寿荘にかけても幅の広い地下水谷が存在する。」と説明。
 地下水位が14m〜23mも上昇していたほか、地下水谷が存在していたなんて。
 今、地すべり跡は公園として生まれ変わっています。
防災メモリアル地附山公園
http://www.city.nagano.nagano.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=11347 
 対策工事として「深礎杭工29 本、鋼管杭工270 本、アンカー工818 本、集水井(しゅうすいせい)23 基、排水トンネル工1,630m」 などが実施(総事業費151 億円余・下記サイト参照)されてますから、二度と地すべりを起こさないという強い決意が感じられます。それにしても深礎杭工29本とアンカー工が818本とはすごい本数です。前回取り上げた仁川百合野の地すべり対策でさえ抑止杭工が142 本ですから。
地附山地すべり
http://jisuberi-chubu.org/main/jidukiyama%20.pdf
地すべり対策工法(アンカー工)
http://www.jisuberi-kyokai.or.jp/toha/kouhou.html

 長野市は全国市町村の中でも雨の非常に少ない所(年900mm前後)ですが、1985年6月と7月は、観測史上の記録を残すほど雨の多かったことが災害に影響しているようです。
※1985年6月の月降水量の多い値272.5mmは観測史上(約100年間)2位の記録(1位は272.6mm・1961年=昭和36年)
長野県気象年報(1995年版)
※日最大10分間降水量20.5mm(1985/7/20)は観測史上(約100年間)7位の記録
長野地方気象台
降水量ランキング(都道府県別)
http://www.japan-now.com/article/188395718.html
信濃川河川事務所
http://www.hrr.mlit.go.jp/shinano/shinanogawa_info/naruhodo/chikei.html
 そういえば、古いブログ(2006年07月10日妙笑寺)にも降水量を扱ってました。もう5年も前でしたから、何を書いてたかすっかり忘れていました。
 次の更新は1週間後に。
<引用・参考文献>
川上浩著「山が動く 土が襲う」60p,信濃毎日新聞社
(注)川上浩ほか「1985年長野市地附山地すべりの災害調査研究」自然災害科学研究費報告、1986
岡部賢二・高田康秀「1985年地附山地すべり緊急調査報告」
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1985/09/85_09_01.pdf
地附山地すべりパンフレット(地附山公園配布資料)

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