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2011年07月18日 源氏伝説1

 写真は飯田市川路駅前にある下記の歌が刻まれた石碑。ここは天竜川の水害常襲地帯(1961年・1983年床上浸水)として知られていましたが、河川改修・盛土・土地区画整理が実施され水害の危険性は小さくなりつつあります。

時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ 源実朝(みなもとのさねとも)

 この歌を知って鎌倉幕府三代将軍源実朝が好きになりました。民のなげきを知りうる唯一の将軍だったことでしょう。この歌(19歳頃作)、彼の編集した金塊(きんかい)和歌集に収められています。この歌集の大半が22,23歳頃作った(日本史探訪)ようですからすごいものです。
砂防に関する石碑
http://blog.livedoor.jp/spc_mapping/archives/796934.html
金塊和歌集
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kinkai.htm

20110718-1.jpg

 征夷大将軍としてはじめて右大臣(父もなれなかった)になった実朝は、12歳で将軍になり、14歳の時、12首の歌を作ってから和歌の世界(藤原定家と交流)へ傾斜していきます。
 その後、25歳の時、中国の宋へ渡る計画(陳和卿設計)を立て、船ができたのに浮かばなかったそうです。でも当時の造船技術(高さ・浮上力・水深・潮の干満等唐船に習って設計)からいってありえない(日本史探訪)とのことですから、家来や執権の北条義時が行かせなかったのでしょう。
 右大臣になって鶴岡八幡宮に参詣した際、兄(頼家)の子供(公暁)に刺されて亡くなります。享年28歳でしたから若すぎました。

前に子供が百人一首を覚えていた時、
私”源実朝の歌があるでしょう”
子供”ないよ”
私”あるはずだよ”
子供”ないない、ありません”
と言われおかしいと思い、自分で確かめましたらありました。作者が鎌倉右大臣で。

世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも
小倉百人一首
http://www.manabu-oshieru.com/hyakunin/093.html

 毎年秋に実朝をしのび、熱海でひっそりと歌会が開かれています。
 文献(日本史探訪)に「幼少より権謀術数の政治の世界に身を置かねばならなかった歌人実朝への同情が、後世の人々の心をとらえるのであろうか。」とあり、同感。
 武将の歌人たる実朝の歌に哀愁を感じます。今、実朝は母政子とともに寿福寺(鎌倉市)で眠っています。
<参考サイト>
川路駅
http://www.green.dti.ne.jp/iida/kt/s52kawa.html
源実朝を偲ぶ仲秋の名月伊豆山歌会(熱海市)
http://www2.izu-kankou.or.jp/izu/izu/izu0040.asp?id=&n=H152540386
源実朝
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sanetomo.html
実朝さんの二つの供養塔が語るもの・・(玉川学園・玉川大学)
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/sanetomo/index.html

 これから、しばらく源氏伝説シリーズ(長野県版)を続けようと思います。今回直接、伝説と関係ありませんが、ご容赦を。
<引用・文献>
「日本史探訪7-武士政権の誕生」86p,87p,94p角川文庫,杉本苑子・上田三四二対談
永井路子著「源頼朝の世界」102p,中公文庫
永井路子著「北条政子」角川文庫

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