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2011年09月18日 古代米

 帰りに有名な登呂遺跡を訪れました。写真は、その遺跡内にある古代米のようす。真ん中から左が緑米、右が赤米。
 赤米・緑米・黒米・紫米が栽培されていました。古代米を販売しているのは、あちこちで見かけますが実際に栽培している所は初めて見ました。また、緑米以外は、白米の稲穂と似ているので少し意外な感じを受けました。赤ソバのように赤米も稲穂は赤っぽいのかと。
 遺跡内案内人(ボランティア)の方の話ですと”古代米は肥料がいらない、栄養分が多い、病害虫に強い”とのこと。
 緑米は赤米や黒米に比べ稲穂が小さかったので案内人の方に
”収穫量は違うのですか”と聞きましたら
”緑米は稲穂が赤米の半分以下ですので収穫量は少ないと思います。食べるというよりモチにしたのでしょうか”
 緑米が小さい理由がわかりました。

20110917-2.jpg

 近くにガマも栽培していて。都会の人が珍しがってガマを抜き取ることがあるそうです。
 火起こし体験コーナーで見学してましたら、杉板に樫(カシ)材の手回し器で10分以上かかって火を起こし、種火に麻を覆ったところ麻が燃えました。案内人の方に”古代では麻の代わりにガマの穂(ふわふわしたもの)を使ったかもしれない”と言われ、なるほど。
 それにしてもボランティアの方々は、遺跡内案内、古代米の栽培、水の管理、火起こし体験指導、雑草の抜取り等の作業を手伝われているかと思うと頭が下がります。ご苦労様です。

 下記サイトによると赤米は「邪馬台国・大和朝廷への献上米。野生イネの大部分が赤米であることから、赤米はコメのルーツで、赤飯の起源といわれている。」そうです。
 きっと卑弥呼(ひみこ)や後継者の臺與(とよ)も喜んだことでしょう。
ながの食農教育情報(古代米の概要)
http://www.janis.or.jp/shokunounet/saibai/kodai01.html
 弥生時代後期の集落は、小さい区画に分けて古代米が栽培されていました。案内人の方に”水の維持管理上、大きい区画は難しかったのでしょう”と言われ納得。
 家や舟は杉材を使って造ってましたほか、水路の両脇に杉の角材が多数打ちつけられていました。当時、杉が多く使われたようです。
 登呂博物館内の店舗で古代茶が売っていましたので、さすが静岡だなと思いつつ買い求め家路へ急ぎました。静岡へ何をしにきたのやらとも思いつつ。
古代茶/静岡市立登呂博物館ミュージアムショップ
http://toro-museumshop.jp/goods/kodaicha
<参考サイト>
古代米データ
http://www.eldrice.com/modules/blog/archives/category/idheaeei/

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