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2011年10月26日 千曲川の由来

飯山市常盤大橋から見る千曲川。大雨の後でしたのでにごっています。

20111026-1.jpg

 ところで千曲川の”千曲”の由来は?
 文献(千曲川の今昔)によりますと千曲川が初めて登場するのは7世紀後半から8世紀後半に編集された万葉集とのこと。

信濃なる筑摩の川の細石も 君しふみてば玉と拾はむ

万葉集(作者不詳(東歌)、万葉集14−3400番)
和歌、恋歌(1)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/waka/koi10.htm
 この時は「千曲」でなく「筑摩」の字を使っていました。
 その後の時代になると千曲川は、下記(千曲川の今昔引用)のように筑摩・千熊・知隈・千曲といったいろいろな字が使われています。
<記載の順序−文字、表記、文献>
文字:筑摩河川、表記:筑摩河、文献:吾妻鏡(1304年)・源平盛衰記(鎌倉中期〜末期)・平家物語(1311年)
ちくま河、ちくま河大河也、国中を廻り流る、名月記(1227年)
ちくま河、信濃の国境までの河、市河文書(1321年)
千熊河、市川助房到着状、市河文書(1335年)
知隈川、足利義教の信濃守護にあてた感状、足利義教感状(1436年)
ちくまかは、ちくまかはは御堂の東に流れたり、北国紀行(1486年)
ちくま河、ちくま河の石ふみわたり、宗祇終焉記(1502年)
千熊、千熊・犀川両瀬とも往来断絶、武田信玄書状(1568年)
千曲河、一者謂千曲河 一者弥犀川、水内橋勧進帳案(1611年)
("長野県の地名"より作成)
 また、川上村の伝説によると神様たちのけんかにより"血隈川"と言うようになったそうです。神様たちもけんか?

 昔から"ちくまかわ"と呼ばれていましたが、決まった文字はなかったようです。
<引用文献>
国土交通省北陸地方整備局千曲川工事事務所監修「千曲川の今昔」247p〜249p社団法人北陸建設弘済会発行

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