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2012年10月02日 地すべり3

 写真は長野県飯田市南信濃和田地区の盛平山(もりへいざん・別名を森山・森平山)付近のようす。正面に中学校、その脇に遠山川が見えます。

20121002-1.jpg

 1718(享保3)年7月に遠山地震(M7)が起き、盛平山の一角が地すべり状に崩れて遠山川へ押し寄せました。そのため今の道路付近を流れていた遠山川が押し出されて現在の流路となったといわれています。この山崩れで寺の本堂が大破し、番屋が土砂に埋まりました(信濃第一次)。
 単なる山崩れでなく、地すべり状の山崩れのため大きな被害になったようです。
 下記サイト(天竜川上流域の災害年表)の年表によりますと
「和田盛平山の一角(北西斜面)が崩れ落ち遠山川を堰き止め、同時に主峰から分離した出山が出現、遠山川は湖水となり天然ダムを形成し、その後西方へ決壊し広い河原をつくった、遠山川は何町も西に移動して現在の流路をとることになった。また片町家の5人が石に打たれて死亡(遠山峡谷に出山を造りたる享保地震史料)」
と説明しています。
天竜川上流域の災害年表 - 国土交通省中部地方整備局3-16
http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/flood/densho/pdf/shiryo_003.pdf
カモシカ通信(天竜川上流河川事務所)
http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/jimusyo/office/data/ka20120907.pdf
信州遠山郷(山城 遠山氏の城址)
http://www.tohyamago.com/rekisi/tohyama_jousi/index.php

 この盛平山の斜面は現在、土砂災害防止法の土砂災害警戒区域(地すべり型)に指定されています。近くに「押出」「※ナギ」の地名(遠山谷中部の民俗)がありますし、遠山川沿岸の地域はあちこち警戒区域(地すべり型)に指定されていますから、地すべりが起きやすい地形のようです。

 上記サイトの年表(天竜川上流域の災害年表)によりますと
 1700年前半の長野県は1707年宝永地震及び富士山大爆発、1715年天竜川の大洪水(天竜川歴史上最大の洪水)、1718年遠山地震、1725年高遠地震、1726年天竜川大洪水、1742年千曲川の大洪水(千曲川歴史上最大の洪水)など天変地異の相次いだことがわかります。
 それと下記サイトによりますと600年〜700年頃も。
信州遠山郷(埋没木が語るもの)
http://tohyamago.com/alps/kyoboku_maibotu/index.php
<引用文献>
信濃史学会会誌「信濃第一次」市村咸人(遠山峡谷に出山を造りたる享保地震史料・昭和8年)
飯田市地域史研究事業民俗報告書5「遠山谷中部の民俗」40p、42p
※「ナギ」は薙ぎ払う意味で山地崩落地を指す(遠山谷中部の民俗)
<追記>
 現地に行った際(2012.3)、この山崩れについて和田城事務局の方にお伺いしたところ、とても詳しくて勉強になりました。ありがとうございました。

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