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2012年11月12日 善光寺地震5

写真は飯山市北方の田園地帯。土地改良された水田が広がります。

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 善光寺地震により飯山市北方の集落では、地すべりや崩壊が多発しました。
 文献(1847年善光寺地震報告書)に「飯山市の富倉峠(とみくらとうげ)の東方の山地で地すべりや崩壊が多発し、多くの沢で土石流が流出した。特に中曽根、中条、笹川、上新田では、集落が土石流の直撃を受け、多くの犠牲者を出した(図1-24)。地震による押し出し土砂を受けるとともに各地で地割れが生じ、田畑の耕作ができなくなった。これは、地震による地盤変動が大きかったことを示し、地震断層が飯山の城下町を南北に走って出現したこととも一致する」
 中曽根:35軒の内25軒が土砂に埋り、村民180人程の内76人即死(慰霊碑あり)
 中 条:80軒程の内26軒が潰れ12軒は土砂に埋り57人即死、善光寺の参拝で12人焼死
 笹 川:18軒が土砂に埋り、43人即死
 上新田:20人即死

 上記災害内容は、地震後の5月18日に芦沢不朽氏が村々の被害状況を見聞したものです。
 中条集落では、土石流によって運ばれた幅2.4m〜2.7m(八九尺の大石)の巨石が残っていました。また、硫黄(いおう)集落は土石流が襲ったため全滅、中条集落では西方の山中にある用水池「あけび窪」の決潰で土石流が発生して多数の方が亡くなっています。(善光寺地震と山崩れ)
 ただ、文献(飯山市誌・信州大地震取調書)によっては「笹川村で山崩れにより集落の約7割が埋没し、死者78人、負傷者20人という大被害となったのである。(略)中曽根では村人185人のうち約3割にあたる63人が、山崩れで犠牲になっている」とあり、上記と被害の程度が異なっています。
 飯山藩内だけで1500人余の死者(飯山市誌)が出て、飯山城が壊滅状態になっていますから飯山藩(本多家)も北方地域の正確な被害の把握まではできなかったものと思われます。

 現在、上記全集落は典型的な扇状地の地形にあり、土砂災害防止法の土砂災害警戒・特別警戒区域(土石流型)に指定されています。前の土石流のブログでも書きましたが、地震による山崩れによって土石流が起きやすいようです。
<引用文献>
中央防災会議災害教訓の承継に関する専門調査会編「1847善光寺地震報告書」59p,60p,平成19年3月
善光寺地震災害研究グループ編「善光寺地震と山崩れ」88p〜92p,平成6年5月,長野県地質ボーリング業協会
「飯山市誌 歴史編上」855p,859p

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