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2012年11月23日 善光寺地震8

 写真は長野市中条日下野(くさがの)の臥雲院(がうんいん・1328年建立)にある”臥雲の三本杉”。斜めに傾いています。

20121123-1.jpg

 この杉は、長野市天然記念物に指定(S55.5.1)されています。指定理由が現地看板にこうありました。
「この杉は地上3mの所で分岐して三幹となるが、ここで周囲約11mを有し、中央の幹は周囲4.5m、長さ39m余ある。他の二幹はこれには及ばないが村内屈指の大杉である。かつて、上方約180mの地にあったのが、弘化四年(1847)3月24日の大地震に大地と共に滑り落ちたもので、四十五度に傾いているのはそのためである。樹齢は明かでないが、600年かと推定される大杉で、稀有の大震災の史実を物語るものとしても貴重な天然記念物である」

 また、文献(善光寺地震に学ぶ)によると「臥雲院の境内には、背後の山から崩れてきた凝灰角礫岩の巨礫が転がり、鐘楼堂の脇には小さな丘状の地盤が顔を出している。臥雲院の右手側の斜面には水道の配水池や道路がつくられている。この斜面には泥岩が分布し畑となっているが、上方から杉を載せたまま滑り落ちてきた斜面である」とあり、大地震の爪痕を今に残しています。
 文献(中条村誌)によると地震の年は、松代藩主(真田幸貫)が山中の村々を巡見(4月7・8日)する予定でした。そのため諸役人が各村々へ出向いて、宿泊、道路修理や橋普請などの仕事の指揮に当たっていました。地震の惨状は、念仏寺に宿泊していた代官の手代(鈴木藤太)が松代藩家老河原綱徳に語った話(むしくら日記)が基になっています。
 この場所(臥雲院)は、県道31号(標高約419m)から車酔いするほどの山道を登った所(標高約827m)にあります。藩主が巡見するときの準備はたいへんだったことがよくわかります。
<引用文献>
赤羽貞幸・北原糸子編著「善光寺地震に学ぶ」27p,信濃毎日新聞社
「中条村誌」1233p
<参考サイト>
33善光寺地震
臥雲院、念仏寺
http://w1.avis.ne.jp/~kiti/sozoro/33gauin.html

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