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2012年11月24日 善光寺地震9

 写真は、長野市中条御山里(みやまさ)の太田・清水集落のようす。写真の中央やや左に大きな白い岩(白崖)らしきものが見えます。
 文献(善光寺地震に学ぶ)に「太田集落の右手には、丸山と呼ぶ丸みをもった岩の露出がある。この集落の場所が、背後の山が大崩壊して多くの人々が生き埋めとなった場所であるが、今はとてもそのようには見えない(写真略)」とあり、善光寺地震により、この集落は埋没11軒、死者54人という大災害(下記サイト31善光寺地震参照)になりました。
 逃げ延びた人々は、余震が続いたためか10日ほども近くの山上へ避難(中条村誌)していたそうです。
 確かに写真の道路を上っていきますと山沿いのいたる所に巨岩が目につきますから、地震の爪痕を今に残しています。

20121123-2.jpg

 この辺は山姥(やまんば)伝説の里として知られています。
 文献(中条村誌)に「昔、京都に百魔山と呼ばれる美しい遊女がいた。寄る年波に心を起こして、善光寺参りを思いたった。北陸道をはるばる下って、信州と越後の境近くにたどりついた。まだ日暮の時刻でもないのに日はとっぷり暮れて困っていると、虫倉山に長い間住んでいた山姥が村の女の姿で現われた。『一夜の宿を貸しましょう』との申し出に、遊女は喜んで泊まった。山姥が山まわりという舞を見せてくれと頼むので、遊女が踊り出すと、見ていた山姥はにわかに鬼女となり、どこへともなく消え失せた。戸隠山の南側のふもとにある虫倉山を上路山(あげろやま)ともいうのは、遊女の話にちなんだ女郎山の転化であるという。(新版、信濃のはなし)」とあります。
 この時の舞は「山姥の山まわり」という曲舞(くせまい)の一節だそうです。人を食べる山姥伝説は日本あちこちに残っていますから、山姥は人々から恐れられていたのでしょう。
 また、文献(中条村誌)に”虫倉山は坂田の金時の母だという「大姥様」のいた山で、山頂付近に「今穴」・「元穴」という洞窟があり、そこが大姥様の住んでいた所だという”とあり、いいおばあさんの大姥もいたようです。
 この集落近くに虫倉神社や柏鉢城(武田信玄の番城)があります。それに梅木・大柿・松ノ木・梨木など老樹が集落名になっているところが多く、歴史を感じさせてくれます。
<引用文献>
赤羽貞幸・北原糸子編著「善光寺地震に学ぶ」23p,25p,信濃毎日新聞社
「中条村誌」1230p,1231p,1344〜1348p
<参考文献>
信濃毎日新聞社編「新しなの地名考」
<参考サイト>
31善光寺地震
中条村、太田
http://w1.avis.ne.jp/~kiti/sozoro/31oota.html
山姥(百科事典ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%A7%A5
曲舞−日本舞踊(織田信長の舞)
http://www.nihonjiten.com/monogatari/data_6.html

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