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2012年11月28日 善光寺地震(番外編1)

 小川村稲丘から。
 北アルプスのいい写真が3枚撮れましたので善光寺地震の番外編を3回続けます。

20121128-1.jpg

 地震の後、周辺では大火災となったことから善光寺のご本尊が北東方面に移動されました。そのようすが文献(善光寺大地震図会)の絵や記事になって残っています。この絵をみると避難した場所は、今のふれあい広場(長野市営球場跡)付近ですが、当時草が生えている程度の野原でした。
 そして地震が沈静後、ご本尊が大名行列のような形で大群衆に迎えられながら善光寺へ戻ります。
 この絵や記事は、善光寺近くの名主(永井幸一)が当時、善光寺の出店にいた体験談をまとめたもので現在、長野市文化財に指定(S47.3.1)されています。
善光寺大地震図会(解題)
「権堂村名主永井善左衛門幸一(さちかず)が自分の経験した善光寺大地震の一部始終をまとめ、挿絵も自分で書いて子孫に伝えたものであり、現在も子孫(略)が所蔵しておられる」

 絵の中には、
 避難先の小屋として、フスマ、戸を屋根や壁がわりに並べて縄で結び、さらに屋根に傘をおいて雨風をしのいでいたり、小屋の中に御高札を何枚も並べたりした絵。
 また、犀川湛水崩れ洪水の押し出すことを報ずるのろしや水煙りの有様を描いた絵や地震のあと郊外の真光寺方面で石油ガスが噴出の絵がありました。
 素人が書いたとは思えない絵巻物風の絵や体験記事は、善光寺地震を正確に伝える貴重な資料となっています。
 文献作者は、自分が不行跡で養父母、実父母に考を尽くさなかったことを悔やんでいたためか、「幸一は、自分の今までの不行跡の罪ほろぼしに、自分の体験とこの大地震についての聞書をまとめ子孫にのこそうと決心した」(同文献)そうです。
<引用・参考文献>
善光寺大地震図会(第十二冊)125p,127p,小林計一郎監修
12御本尊御立退きの図
14御朱印御本仏御印文前立御尊等の御宝龕御立退守護の図
25永井家避難小屋の外部
33御本尊、堀切道より大勧進万善堂へ遷座の行列
35如来万善堂より本堂へ御遷座、参詣群衆の図(山門前参詣群衆)
36御本堂前の行列
39俗言新地獄の図略

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