写真は善光寺北西方面(長野市桜地区)にある狢郷路山(むじなごうろやま)付近(写真中央やや左)のようす。左にバスも写っています。昔、この山の裏側にバス停があるので驚いたことがありました。
下記サイトによると採石していた時期があったようです。
http://www2.ueda.ne.jp/~moa/mujinagouro.html
そういえば昔のブログにもこの山を取り上げていました。
2006年11月14日 裾花峡2
http://www.naito-kantei.jp/blog/page.php?_id=208
善光寺地震により善光寺参道の石畳に亀裂が生じました。
文献(善光寺地震に学ぶ)に「正徳年中(1711〜15)、伊勢白子(三重県鈴鹿市)の商人大竹屋平兵衛が寄付したという善光寺参道の7777枚の敷石は、幅二尺(60センチメートル)余の亀裂を生じた。また、伊勢町と岩石町との境には、西南隅から東北隅へ斜めに、幅3〜4尺、長さ20間(36メートル)〜一丁余(約109メートル)にわたる地割れが生じた。いずれも、その間から黄・青・黒色に濁った泥水が噴出し、硫黄の臭気がした」とあります。
善光寺参道(敷石)
http://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/5572.pdf
下記サイトに石畳の悲しい伝説とともに「敷石は近くの郷路山の安山岩を使っており、現在は6479枚あります」とありました。
写真は狢郷路山ですが、石畳の石は、郷路山(葛山と頼朝山の間)という善光寺近くの山で採れたもののようです。よくわかりませんが・・・。
石畳(敷石)
http://zenkozi.com/highlight/stone_pavement.html
善光寺 表参道
http://homepage2.nifty.com/ssry/u/travel/nagano/zenkoji-sando1.html
これでほんとうに善光寺地震シリーズが終わり。番外編は読み倒れないよう短くまとめました。
暗い話ばかりで失礼しました。
<引用文献>
赤羽貞幸・北原糸子編著「善光寺地震に学ぶ」54p,信濃毎日新聞社