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2013年07月10日 文人の足跡1

 長野県高山村(たかやまむら)山田温泉通り沿いのようす。左側は山が迫り急傾斜地崩壊危険区域が指定され、右側は約27m下に松川渓谷があります。
 山田温泉には数多くの文人たちが訪れています。
 森鴎外、与謝野晶子・寛、堀口大学、有島生馬(画家・有島武郎の弟)、佐藤春夫(詩人・作家)、種田山頭火(たねだ さんとうか)、太田水穂など。
 ただ、山頭火は万座温泉(群馬県)から山田温泉を通り過ぎただけですが・・・。

20130710-1.jpg

 森鴎外(29歳)は、山田温泉に明治23(1890)年8月18日より25日まで逗留して「みちの記」という紀行文を残しています。
 文献(高井第129号)によると長野駅から人力車で須坂まで出て、昼食を取り、牛の背に乗せてもらい山田温泉までたどり着きました。
 「みちの記」では、「温泉をめぐりて立てる家数30戸ばかり。宿屋は7戸のみ」「食は野菜のみ、魚とてはこの辺の渓川にて捕らるるいわなというもののほか、なにもなし」「男女混浴の湯治場」「荼毘(だび)所の跡」などの情景を描写しています。
 25日に法科大学の学生さんが訪ねてきて翌日に米子の滝をみていく約束をしますが、たまたま目にした新聞(信濃新報)に大水害の記事が掲載されていたことから急きょ帰ることに。帰りは小布施を経由して千曲川(大雨で船橋なし)を小舟で渡り豊野駅で汽車に乗り、横川(群馬県)で汽車が不通のため降り、山越えして松井田にたどり着きます。そこから汽車で高崎駅へ、乗り換えて新町(群馬県)へと出て、新町からは人力車で本庄駅まで。そこから汽車でやっと上野駅へたどり着きました。
 鴎外は山田温泉を気に入ったようで、宿屋(藤井荘)の主人に土地分譲の依頼を頼む書状(9月21日)を送っています。(高山村誌)
 なぜ、鴎外が当時、全く無名な山田温泉へきたのでしょうか。当時の感覚とすれば上田市の別所温泉など知られた温泉地があったはず。
 文献(高井第129号)によると”「文学散歩」で名高い野田宇太郎は『信濃路文学散歩』の中で、このことに触れ、「わたくしの憶測に過ぎないが」と断りながらも、鴎外の生涯の親友賀古鶴所(かこつるど)か落合直文などの誰かに教えられたか、陸軍の測量地図でみつけたのではないかと推測している”そうです。
賀古鶴所(百科事典ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E5%8F%A4%E9%B6%B4%E6%89%80

 確かにここは山の中の温泉地(標高875m)で湯治にはもってこいの場所だったのでしょう。長野駅(標高360m)から道路距離で約24km、豊野駅(標高333m)から約17kmもありますから。
 すぐ近くには昔の私のブログで紹介した滝もありますから、ここも訪れたことでしょう。
雷滝(2007年06月26日 雷滝)
http://www.naito-kantei.jp/blog/page.php?_id=324

 現在、鴎外の散歩道コースも整備されていますが、雑草が繁茂していたり、倒木があったりと歩きづらくてがっかりしました。ただ、それが文人たちが望む「自然のまま」でいいのかもしれません。
高山村
http://www.vill.takayama.nagano.jp/fun/highlight/trekking.html
<参考サイト>
堀口大学文庫
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/horiguti.htm
有島生馬記念館
http://www.ngn.janis.or.jp/~shinmachi-museum/arishima_mem_hall/ikuma_memo_hall.html
新宮市立佐藤春夫記念館
http://www.rifnet.or.jp/~haruokan/index.html
<引用文献>
小林謙三「高井第129号」(森鴎外の「みちの記」とその周辺)
高山村誌第二巻(歴史編)693p,694p
高山公民館編「自然と人のふれあう村」167p
森鴎外「みちの記(き)」

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