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2013年07月12日 文人の足跡2

 写真は、山田温泉入口の手前にある与謝野晶子歌碑。
 歌碑は、
「鳳凰(ほうおう)が山をお於(お)へるおくし奈乃(なの)山田の渓(たに)秋の尓(に)逢ふ可な」
が刻まれていて、由来が高山村誌に紹介されています。絵心のあったと晶子と生馬は生涯心の通い合った友人だったようです。(高山村誌)

20130712-1.jpg

 ”選歌を依頼された有島生馬は、『霜葉集』からこの歌を選んだ。「おくしなの」「山田の渓」が読みこんであることと、晶子の旧姓「鳳(ほう)が入っていることから選んだと生馬は述べている。”
 与謝野晶子は、山田温泉に大正14(1925)年8月と昭和2(1927)年10月の2回来ています。最初は、与謝野鉄幹(寛)と平野万里、2回目は与謝野鉄幹、西村伊作、石井柏亭、戸川秋骨と一緒に。
 2回も来ているのですからよほど気に入ったのでしょうか。
 晶子歌碑が見当たらないので山田温泉で店舗を営んでいる方に聞きましたら”昔はこの辺にあったけど今は赤い橋の脇へ移転してますよ”と言われ、直行。
 同村誌に”昭和29年10月15日晶子の長男光(医学博士)、有島生馬(芸術院会員)、佐藤春夫(芸術院会員)、樋口大学らが参列して、下の大湯「松ノ湯」脇にて盛大に除幕した。近年、松の湯荘の建て替えなどにより「舞の道広場に移転されたのが、現在の晶子碑である」”とありました。

また、同村誌にこう紹介しています。
「晶子の歌集『室内と風景』二七編中につぎの詩が収録されている。
女の友からの手紙
手紙が山田温泉から着いた。

どんなに涼しい朝、/山風に吹かれながら、/紙のはしを左の手で/抑(おさ)へ抑へして書かれたか。
この快濶な手紙/涙には濡れて来ずとも、/信濃の山の雲のしづくが/そっと落ち掛かったことであろう

この詩を読むと、この山田の人たちは、訪れる旅人と美しい絆を結んでいたことがしのばれる」

 ここでたたずんでいますと同じ雰囲気が感じられるかもしれません。
<引用文献>
「高山村誌第二巻歴史編」695p〜697p
<参考サイト>
与謝野晶子文芸館
http://akiko.sakai-bunshin.com/about.jsp
歴史が眠る多磨霊園:平野万里(ひらのばんり)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hirano_b.html
西村記念館を守り伝える会:西村伊作(にしむらいさく)
http://www.geocities.jp/nishimurakinenkan/isaku.html
石井柏亭(いしいはくてい)-に関する画歴-
http://www.geocities.jp/nack735/isiihakutei.html
戸川秋骨(とがわしゅうこつ・百科事典ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%B7%9D%E7%A7%8B%E9%AA%A8

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