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2013年07月23日 文人の足跡4

 写真は山ノ内町湯田中温泉の共同浴場大湯(湯本旅館前)のようす。
 写真左側の石碑には、小林一茶の句が刻まれています。昔のブログに書いていましたが、江戸時代の俳人小林一茶は湯田中温泉に超長期間(延152日間)滞在しています。
ブログ(2008年02月13日一茶の生涯17)
http://www.naito-kantei.jp/blog/page.php?_id=474
 ちなみにこの共同浴場には地元の人か旅館に宿泊した人しか入浴できず、一般の人はできませんのでご注意を。
 下記サイトには
「文献に残る開湯は、1350年前(天智天皇の時代)、僧智由が発見し、この湯を「養遐齢(ようかれい)」と名づけました。」とあり、大昔から温泉として利用されていました。
信州湯田中温泉
http://yudanaka-onsen.info/about
 山ノ内町誌にも「僧智由(ちゆう)が湯を発見し、石の弥勒像を造って温泉の東端に建てたが、のち埋没していたものを大治5年(1830年)になって僧来光が来て石像を掘出し再建して以来のものと口碑は伝えている」とありました。
 なにしろ共同浴場番付で横綱になったことがある名湯のようです。そういえば昔、この近くの旅館で高校同級会があって温泉に入ったことを思い出しました。
湯田中温泉旅館組合
http://www.avis.ne.jp/~yudanaka/kankou02.htm

20130723-1.jpg

 写真中央に「養遐齢」とかかれた大きな木額がかかっています。
 この木額の由来について文献(高井)ではこう説明しています。
”明治10年代(1877〜86)には、湯田中温泉の大湯を囲むように旅籠屋は軒を並べていた。この大湯を新築し一層の繁栄を図ろうと、大湯管理者湯本五郎治は、まず第一に温泉の入浴法及び飲用等種々衛生に関する効能を明らかにし、第二に浴場の規模を宏荘にすることを企図した。(略)内務省衛生局東京試験所の権威者陸軍軍医総監松本順に、比い希なる名湯であると評価され、併せて鉱泉の分析・入浴法・飲用法の指南をうけて総湯家屋(大湯)を新築し、漸次各所の共同浴場を改築することとなった。”
また、
”湯田中大湯の木額「養遐齢」、男湯「養老」は、明治17年12月松本順(良順)が揮毫(きごう)している。19年11月25年湯田中温泉大湯の開湯式には、陸軍軍医総監松本順として出席している。」”
とありました。
 なんと”あの松本良順(りょうじゅん)が来ていたとは”と驚きました。
 松本良順(明治以降は順に改名)は、作家吉村昭の小説「暁の旅人」の主人公で、江戸幕末にオランダの医者ポンペから西洋医学を日本人として初めて学び、幕府の西洋医学所頭取を務め、会津藩で戦傷者の治療を指導した人物として知られています。
 明治になり、初代陸軍軍医総監に就任し、山県有朋に獣医学の必要性を説き、陸軍省に獣医部を創設し自ら馬医監となって軍医部の仕事を兼務したり、日本で初めて医師試験をおこなったり、佐賀の乱や西南戦争の戦傷兵の治療について指導したりしています。(文献:暁の旅人322p〜324p)
 後に、大磯海水浴場を開設したことでも知られています。
 文献(暁の旅人329p)に「長崎でポンペから医術伝習を受けていた時、オランダの医書に海水浴にふれたものがあり、ポンペにそれをただした。ポンペは海水浴が人体によい影響をあたえることは知られているが、ヨーロッパではそれに適した地が少く、それにくらべて日本は四方海にかこまれているので、敵地があるはずだ、と答えた。それ以来、かれは海水浴に関心をいだき、病弱の者が海水浴をすることによって健康を恢復(かいふく)するのを知り、旅をしながらそれに適した地を探すようにもなっていた」とあります。
妙大寺(大磯町)
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/jisya/myoudaiji.html
 西洋医学を学んだ良順は、温泉や海水浴の効能にいち早く気づいていたのでしょう。
<引用文献>
山ノ内町誌刊行会編「山ノ内町誌」637p
小布施竹男「高井127号」(蘭方医松本良順の「養生法」)51p,52p,H11年4月
吉村昭「暁の旅人」322p,329p講談社

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