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2013年08月10日 文人の足跡6

 写真は長野市信州新町水内(みのち)久米路橋(くめじばし)近くにある石碑。ここには勝海舟の歌碑が刻まれています。
 久米路橋は過去に何回か取り上げましたが、現在橋近くで河川第2トンネルが工事中です。
ブログ(2011年10月21日 河川トンネル)
http://www.naito-kantei.jp/blog/page.php?_id=638
 すぐ近くにある「佐久間象山手植えの楓」が風情を添えています。
勝海舟の歌碑
http://www.shinshu-liveon.jp/www/tourism/node_202356

20130810-1.jpg

 この石碑の由来が町誌(信州新町史)にありました。
「水内村安用出身の竹村通は、佐久間象山の門弟である。元治元年象山幕府の召命によって上京の際供連15人の中の銃手として従い、象山暗殺された後は帰郷し花岡復斎等と協力して象山の遺子恪次郎を立てて佐久間家の復興に努力しかたわら勝海舟の知友を得ていた。通は郷里の名橋水内橋の顕彰を念願し明治15年上京して海舟に依頼し作歌並びに揮毫を得て帰り苦心奔走の末に建立したものである」

 勝海舟の碑文で有名なものは下記でしょう。
 文献(西郷隆盛)に「明治12年3月、まだ西郷が逆賊・朝敵扱いされていた頃、海舟ははやくも南州記念碑をたてる計画を、吉井友実、山岡鉄舟、税所(さいしょ)篤らに話し、場所は都内は憚(はばか)りがあるからとて、海舟の別荘のある向島の先の木下川の浄光寺の地内に、南州の自筆の詩を石に刻んで残そうと人目をさけて建立し、6月に完成した。今は洗足池畔の海舟の墓の側に移してある」とありました。
 この頃は、西南戦争(明治10年)後間もなく、名誉回復がされていない時期でしたから、私費で建立したようです。
西郷隆盛留魂碑と勝海舟の墓
http://www.city.ota.tokyo.jp/midokoro/spot/hot_news/top_saigou_katsu.html

 また、文献(勝海舟の全て)によると勝海舟の揮毫した碑や墓は全国にあるようです。
・大久保一翁の墓(墓碑銘は海舟の揮毫)−東京都多磨霊園
・広井磐之助の墓(墓碑に刻まれた表題は海舟の揮毫)−高知市
・刀剣奉納の神社(徳川家家蔵の名刀を奉納した際の奉納書)−長崎市諏訪神社
・西郷南州流謫(るたく)跡の碑(記念碑の碑文を揮毫・明治29年)−鹿児島県名瀬市
・伏見義民之碑(篆額は三条実美・撰文は勝海舟)−京都市伏見区
<引用文献>
「信州新町史下巻」1342p
「歴史群像シリーズ西郷隆盛」120p
小西四郎編「勝海舟のすべて」223p,241p,244p,245p,247p,249p
<参考サイト>
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/ookubo_i.html
高知城西側
http://www13.plala.or.jp/shisekihoumon/kouchiwest2.htm
旅仲間
http://blog.goo.ne.jp/hakuhaturou_2006/e/6137d9962a52672ee5fbe41d79d406f3
京都観光Navi
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=430

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