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2013年08月19日 文人の足跡7

 写真は長野市信州新町の犀川(さいがわ)河畔(かはん)にある有島生馬の記念碑のようす。傍らには佐藤春夫の詩碑も。やや離れた所には有島生馬記念館が設けられています。
 下記サイトによると「(有島生馬は)昭和25年信州新町を訪ね、このとき北アルプスより流れる犀川の美しいダム湖に「琅鶴湖」と命名、以来四季折々の信州新町の自然と温かく素朴な人情を愛し、佐藤春夫詩碑除幕に来町された88歳まで8回の来遊を重ねました」とあります。括弧は私の追記。
有島生馬記念館
http://www.ngn.janis.or.jp/~shinmachi-museum/arishima_mem_hall/ikuma_memo_hall.html

20130819-1.jpg

 信州新町には過去下記の数多くの画家達が訪れています。
 栗原信、三上知治、板倉賛治、有島生馬、横井弘三、石井柏亭、赤城泰舒、丸山晩霞など
信州新町美術館の代表作品と作家の紹介
http://www.ngn.janis.or.jp/~shinmachi-museum/art_museum/arts.html

 ここ出身の有名な画家がいるわけでもないのにたくさんの画家達が来ている理由を調べましたら、文献(琅鶴湖を訪れた画家達)に下記の説明があり、納得。実際、個人蔵の絵画や水墨画が多く、絵画に親しみのある地域のようです。
「明治初期から昭和13年の犀川線全線までの間、犀川通船の終着場所であった水内村(現信州新町)新町は松本平と善光寺平を結ぶ交通の要衝であり、また物資の集散地として最も栄えた時期であった。問屋仲買、運送回漕業業、酒屋等経済的に恵まれた人達が多く、中には美術の愛好家もいて、明治30年代以降数多くの画家が水内村に来訪し画会を開き絵を描いた。(略)昭和10年代には、画家達は絵を売ることを目的に来訪した者が多く、村の愛好家が集まって頒布会を開くことが多かった。(略)第2次大戦が激しくなり始めると、東京方面から長野県へ画家達が大勢疎開をしている。当時の水内村へも画家達が疎開し、村内の戦死者等の肖像画を描いて生活の糧にしていた。」

 また、農村風景を数多く描いた向井潤吉が、昭和28年来村(当時水内村)し、以後3〜4年つづけて訪れています。昭和57年には信州新町美術館へ油絵2点を寄贈しています。
世田谷美術館分館
向井潤吉アトリエ館
http://www.mukaijunkichi-annex.jp/
 文人たちにとって、山紫水明(さんしすいめい)の地であり山河に育まれて来たこの地(美術館建設目的のひとつ)が気にいったのでしょう。
<引用文献>
「琅鶴湖を訪れた画家達-20世紀を振り返る-」信州新町美術館28p〜38p
<参考サイト>
石井柏亭
http://www.chiba-muse.or.jp/ART/hakutei/profile.html
丸山晩霞記念館
http://www.city.tomi.nagano.jp/kurashi_info/manabu/sunterrace/000381.html
独立行政法人国立近代美術館所蔵作品(赤城泰舒)
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=11102

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