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2006年04月03日 松代藩の献上品

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復元された松代城跡のようす(H17/11/23撮影)。川中島の合戦(第4)で武田信玄が陣をはったところ、後に真田藩10万石の居城に。
この松代城跡が2004年に復元、江戸後期城郭空間がよみがえりました。
 下記文献に信州諸大名の将軍に対する献上・拝領品(1859年)の特集が掲載、興味を持ったのは季節ごとの献上品。松代藩は以下のとおり。
「真田信濃守幸教・・時献上・・正月干鯛、四月塩鴨、六月干鱈、九〜十月の内小布施栗、小寒雉子、在着御礼二種二荷。ところで小布施は天領と松代領に二分されていたが、栗の林は天領分にあった。元和年間、家康の娘小松姫が松代藩主真田信之に嫁する際に、この栗林50町歩を化粧料として与えた。よって、この栗林からの初物は献上に回されることになった。文化8年の献上栗は3000個であったという。この林には藩から任命された御林守がおり・・・一茶の『七番日記』に下記の句が載っているが、選りすぐりの栗は献上品として、庶民の手には入らなかった事情を詠んだ句と言われる」
<拾われぬ栗の見事よ大きさよ>
 海がないのに鯛、鱈?−−保存のきく海産物?
 栗3000個?−−いったい将軍様が口にしたのはいくつ?
 小林一茶がうらやましがった栗を盗んだら厳罰(死罪?)だったようです。小布施栗は大きくて今でもなかなか手に入りづらいのが実情。でも、献上品というのは藩にとってたいへんな行事だったんでしょうね。あの加賀前田藩は気の毒なことに年間50品目近く献上とのこと。
 ちなみに一町歩は3000坪(約9917)ですから9917屐50≒495,850屐E豕ドームの広さ(46,755)の11倍弱でしょうか。広さもスケールが違います。
 ところで、仕事上、明治時代に書かれた登記簿の記載をたまに見る機会があるほか、くずし字辞典や古文書解説書(注)のお世話になる場合があります。昔の字は困ったことにひらがなや数字もくずしてあるのでよくわかりません。この世界に入った頃、名前(女性)で使う字(例:「ゑ」)や数字(例:廿)が読めなくて苦労しました。こんな辞典があることさえ知らなかったからです。
 登記簿や戸籍上、明治時代の記載が達筆なのは筆で書く専門家がいたからだと言われています。司法書士は、除籍(古い戸籍)を読むことが多いため必然的にくずし字も読めなければ相続関係説明図(相続登記では必要書類)が記載できません。今はわかりませんが、昔は相続登記ができて一人前と言われてました。
 私は父の相続登記のとき、曾祖父、曾々祖父(ひいひいおじいさん)の代まで戸籍をとり、自分の先祖を意識。曾々々祖父まで取ろうと思いましたが、江戸時代のことなのでわかりませんでした。自分の戸籍ですから真剣にくずし字を調べたことは言うまでもありません。
(注)児玉幸多編「くずし字解読辞典」近藤出版社、大石学監修「古文書解読辞典」東京堂出版、日本加除出版「正字・誤字俗字一覧」等
 参考までに、くずし字や古文書辞典類はひらがな編や数字編も載っていると助かります。上記「古文書解読辞典」によればひらがなの字体が現行のものに統一されたのは、明治23年(1890)の小学校令施行規則によるとのこと。また、「変体がな」の存在も複雑にしています。
参考文献:長野郷土史研究会「長野第246号」翠川渡著(H18/4)

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