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2006年04月25日 旧河道

20060425-1.jpg

中野市大俣地区から撮影(H18/4/14)
 蛇行している白い部分は、明治初期頃まで千曲川の流路でした。約130年前まで河道、蛇行しているのをほぼ直線に。これだけ大規模に河川の流路を換えたのは、全国でも数少ないと思います。以前、この跡地の字名を調べたらほとんど「古川」。
 昭和になって河川跡を農地にしましたが、大きな水害時には河川状態に。川は昔の河道を覚えているといいます。
 この川付近は旧豊田村上今井地区、川を挟んで反対側も同地区。川の両側に同一や似た地名があるのは、流路の変更によることが多いようです。
例えば、下記地域は千曲川両沿岸に同一大字があります。
 松代町岩野、松代町東寺尾、篠ノ井東福寺、長野市村山と須坂市村山等
 上京し東京都世田谷区等々力近くに住み始めた頃、多摩川の反対側(川崎市)にある競技場の光がまぶしく、何をしているんだろうと。その日の夜、サッカーの試合を等々力陸上競技場でしてたことをテレビで知り、同じ地名なので驚いたことを覚えています。等々力という地名は東京都世田谷区と川崎市中原区の両方にありますが、これも川筋が変更されたためのようです。
参考文献:豊田村誌、千曲川・犀川治水史研究会編「千曲川一世紀の流れ」信濃毎日新聞社

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